活動報告 - 俳句同好会 (白木蓮俳句会) (H.26.10.11) No.56
◆句会は原則として毎月第二土曜日の午後1時半から4時位まで、主として久我山会館・高井戸地域区民センター等で開催しております。(出席者は10名程度)一度ふらっと覗いてみて下さい。その上で、ぜひ仲間になって下さい。
句会が終わると駅前の蕎麦屋でちょこっとやったりもします。
◆毎回、その月の作品を紹介いたします。俵木陶光選。
・10月の作品の紹介
・10月の兼題は、「玉蜀黍(とうもろこし)」・「秋出水」です。
浦田 久
・菜園の唐きび捥ぐや風一陣
岡村 一道
・丘越えてなほ唐黍の畑かな
片山 朝陽
・もろこしを剥けば真珠のごとき艶
五井 夢
・水マグマの如く轟く秋出水
関口 静安
・今年また目黒の秋刀魚祭かな
俵木 陶光
・とうもろこし畑へ向かい「もういいかい」
長岡 帰山
・流木の根も葉もつけて秋出水
中邑 雅子
・狂ほしく川盛り上がる秋出水
堀 秀堂
・玉蜀黍粉のパン忘れ得ぬ戦後かな
峯岸 まこと
・真夜中の防災放送秋出水
芳村 翡翠
・流れゆく鞄哀しや秋出水
小林 美絵子
・屋久島芒一鉢置いて星を見る
坂井 百合子
・うつし世の災い(わざはひ)流せ秋出水
山下 天真
・秋出水中洲を襲ひ一文字
村林 小枝子
・戦時下のとうもろこしの実る庭
安西 円覚
・媼売る焼もろこしの醤油の香
◆<私の一句>
「名古屋場所膝を崩さぬ女将たち」俵木 陶光
『白門杉並』11号にも載せてありますが、平成19年の夏、上岡君義当支部顧問から「急なことですが、白門二八会の荻窪会の有志で玉春日関(現片男波部屋親方)を囲む会をやることになりました。荻窪の『かまくら』でやるので杉並支部の方も如何ですか」とのお誘いを受け、当日の夕刻会場に伺った。玉春日関と素敵な奥さんを中心に上岡顧問、鈴木康司元学長(玉春日関が学生の頃、相撲部のキャプテンで、鈴木元学長が相撲部長であった)、松本道介元文学部長他15名程が集まった。
関取とは教育問題から社会の動きまで気さくに話し合い、さすがは学員会の常識家だと思った。それから若の花を一気に降し相撲に目覚めたこと、奥さんとは大阪で知り合ったことなどなど。酒が入ると全員相撲評論家になっていた。小生も話題提供にと1句ずつ本場所の様子を詠んだ句を選びコピーしたものを配り紹介した。
・初場所 初場所やかの伊之助の白き髯 久保田万太郎
・春場所(大阪) 春場所や河風強き触れ太鼓 生方青蛙子
・夏場所 夏場所や汐風うまき隅田川 牧野寥々
・名古屋場所 名古屋場所膝を崩さぬ女将たち 俵木陶光
・秋場所 秋場所や川筋繋ぐ月見舟 水原秋桜子
・九州場所 博多場所しぐれがちなる中日以後 下村ひろし
名古屋場所だけは小生の持っている大歳時記にも例句がなかったので急遽作句して載せることとした。
大阪場所には砂かぶり辺の茶羽織の人達、九州場所では黒紋付の正装の芸者衆の横一列、名古屋場所では何人か料亭の女将と覚しき和服姿の、それも毎日異なる着物の正座姿が目立っていた。
相撲は、国譲りの神話にもその源があり、1200年以前から「脱ぎ捨てて相撲になりぬ草の上」(炭太祇)のように力自慢が取っ組み合いをすることもあった。
恒武天皇の延暦11年(793)初秋には恒例の相撲節会としていたことが記録されている。その後1年の豊凶を占う神事となり、俳句の上でも「相撲(節会)」は季語になった。
15年程前、当俳句会誕生案内の冒頭にも江戸時代の句を載せた。
・やはらかに人わけゆくや勝角力(すもう) 高井几董
・負くまじき相撲を寝物語りかな 与謝蕪村
◆次回の定例句会は、11月8日(土)午後1時30分〜4時
於 久我山会館
兼題は「やや寒」・「黄落」です。
◆句会についてのお問い合わせ先: 安西 光昭(円覚)まで
TEL 090−3145−2654
◆文責・俳句同好会会長 俵木 敏光(陶光)